今、変わるべきでしょ!可藁津今茂の経営日記
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言語化は難しい
そう思い込んでいただけだった
「言語化できない=スキル不足」
ずっとそう思い込んでいた。
名古屋の職場では、
「言語化して」「要点をまとめて」「結論から言って」
そんな言葉が当たり前に飛び交い、
言葉に詰まるたびに、胸の奥がじんわり重くなる。
語彙力がないから──
話すのが下手だから──
まとめるセンスがないから──
そうやって、自分を責め続けていた。
そんな苦手意識を抱えたまま、週末の手伝いで大阪の実家に戻った日。
工場の油と鉄の匂いが混じる空気の中で、父の声が聞こえてきた。
「おーい、ちょっと見てくれへんか」
段取りで悩んでいるのだろうと近づくと、
図面を前にした父が、ぽつりとつぶやいた。
「・・うまいこと言葉にならんだけや」
その一言が、胸の奥にすっと落ちた。
言語化できないときの父は、なぜこんなにも落ち着いているのだろう。
父の中では、言葉より先に「筋」が通っている
父は職人らしく、判断が速い。
経験の積み重ねから、
・図面のどこが危険か
・工程がどこで詰まるか
・材料がどこに無理を抱えているか
言葉にする前に『わかっている』。
だからこそ、
「ほら、あれや・・あの・・」
と語彙を探す姿が不器用に見えても、
考えそのものはブレていない。
「言葉にすんのは下手やなぁ」と笑う父。
でも私は思う。
父の言語化の下手さは、スキル不足ではなく、
思考が言葉より先に整っているからこそ起きる現象だと。
私はずっと「言わなきゃ」と焦っていた
名古屋の職場では「伝える技術」が評価される。
だから私は必死だった。
うまく言えない。
語彙が足りない。
まとめられない。
でも、ふと気づく。
──父は語彙が少ないのに、なぜか伝わる。
──私は言葉をたくさん持っているのに、なぜか迷う。
違いは明確だった。
父は「言葉」ではなく「思考の入口」を間違えない。
私は「言葉」から入ろうとして、いつも迷子になる。
その気づきは、私の中の前提を根本から揺さぶった。
言語化は語彙の量ではなく入口の整え方だった
父はいつも言う。
「言葉はあとからついてくるもんや」
昔は意味がわからなかった。
でも今は違う。
言葉が出ないのは、
語彙力不足ではなく、
思考の入口が定まっていないだけだったのだ。
考える順番さえ整えば、言葉は自然に流れ始める。
その実感が、私の言語化への苦手意識を少しずつ溶かしていった。
今回の気づき
言語化の本質は、語彙力ではなく「思考の整理」にあると実感した。
父は語彙が少なくても筋で考えるからこそ言葉が迷わず伝わる。一方で私が抱えていた苦手意識は、スキル不足ではなく“思考の入口”に迷っていただけだったのだ。
いま言葉にできないと感じるその壁は、本当に言葉の問題なのか
──そう自分にも、そして皆さんにも問い直したい。
この物語はフィクションですが、実際の経営現場でよくある話をもとにしています。


