今、変わるべきでしょ!可藁津今茂の経営日記
title
父の背中は、理念より先に姿勢を語っていた
「自分がやってへんことは、人には勧めへんで」
いま、多くの会社が理念を掲げる時代になった。
けれどその裏側で、理念づくりを支援すると名乗りながら、自分の会社の理念すら持っていない外部業者がいると聞く。
「理念って、そんな軽いもんだったっけ・・?」
そう思って大阪の実家に帰ったとき、父に話を振いてみた。
住宅兼工場のあの独特の油のにおいと、父の姿を見た瞬間、なんとなく胸の奥が落ち着くのを感じた。
「お父さん、最近ね、理念づくりの支援が流行ってて・・」
私がそう言うと、父は手を止めずに、でも確かな重みを持つ声でぽつりと言った。
「理念つくる?そらええ。でもな。自分のとこはどうなんや?」
その一言に、私は少し言葉を失った。
技術より姿勢を重んじる
父にとって仕事とは、技術の前に、まず「姿勢」だった。
「ものづくりはな、手ぇ抜いたらすぐバレる。誤魔化したら、全部お客さんに返ってくるんや。」
父は私を見るわけでもなく、機械の音に負けない声で続けた。
「せやからワシの矜持はひとつや。自分がやれへんことは、人には勧めへん。
自分の理念もないまま、よそ様の理念つくる?ワシには、ちょっと理解でけへんわ。」
父は理念という言葉を使わない。けれど、
「自分のやり方が、人に勧められるか」
それを基準に、何十年も仕事をしてきた。
理念を語らずに、理念を体現している人。
「理念つくるなら、その理念に恥じへん生き方しとるんか。ワシは見るとしたら、そこだけや。」
その静かな重みが胸に残った。
手法だけでいいのか
名古屋で働く私は、理念作成サービスに触れる機会が多い。
きれいな言葉、整ったフレームワーク、まるで正解のような手順。
だけど父の言葉を聞いた瞬間、自分の胸の奥がざわついた。
――私は、自分の家の理念を語れるだろうか?
――父は、理念という言葉こそ使わないけれど、背中でずっと語ってきたのではないか?
父の姿勢は、時代遅れに見えるときもある。アナログで、昭和的で、頑固にすら見える。
でも、よくよく考えると、理念とは“カッコいい言葉”ではなくて、会社の生き方そのものだった。
もし私が理念を支援する者であるなら、まず自分たち自身が理念に向き合っていないといけない。
言葉を磨く前に、自分たちの姿勢が理念に合っているか。
その問いが、心の中で何度も回り続けた。
父の「自分がやってないことは、人に言わへん」
その言葉が、私の心に残る。
理念づくりは言葉ではなく生き方を預かる仕事
理念づくりは、言葉を整える作業ではない。
経営者の人生をまとめ、組織の未来を形づくる、重たい仕事だ。
だからこそ、理念を支援する側が
「自分はその理念を体現しているか?」
と問い続ける姿勢がなければ、言葉は空洞になる。
父の言うとおり、自分がやっていないことを、人に勧めることはできない。
娘としてその背中を見て、理念を扱う仕事をする私だからこそ、この姿勢という核心を胸に刻みたい。
理念をつくる者の姿勢――
それこそが、読者のみなさんにも問いかけたい本質である。
今回の気づき
最近、理念づくりを「サービス」として扱う外部業者と関わる中で、「自社の理念すら持たずに、他社の理念をつくる」という状況に出会った。
その違和感を父に話すと、父はいつもの調子で「自分がやってへんことは、人には勧めへん」とだけ言った。
その一言が、ずっと心に残った。
私はこれまで、理念づくりを手法として学び、フレームワークや言語化の技術ばかりを追っていた。
けれど父の話を聞けば聞くほど、理念をつくるという行為には、まず姿勢が問われるのだと気づかされる。
理念を支援するなら、まず自分自身が理念に向き合い、体現しようとする姿勢がなければ、どれだけ言葉が整っていても説得力を持たない。
外部業者の姿勢と、父の矜持。
正反対に見えるその二つを並べたとき、私はようやく父の本質が理解できた気がした。
理念は、技術ではなく姿勢から生まれる。
その当たり前の真理を、父はずっと背中で教えてくれていたのだ。
この物語はフィクションですが、実際の経営現場でよくある話をもとにしています。


