今、変わるべきでしょ!可藁津今茂の経営日記

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AIが整える時代に、人が責任を持って考える意味を問う

考えることをAIに任せていませんか

ある日の打ち合わせで、上司がふとつぶやいた。
「最近はAIにまとめてもらえば早いでしょ?」

私は笑ってうなずきながらも、胸の奥で小さな違和感を覚えた。
・・早さだけで本当にいいのだろうか?

AIは確かに便利。文章も資料も、あっという間に整う。
けれど、出来上がった原稿を見ていると、どこか自分の言葉じゃない気がした。
内容は正しいのに、伝えるときに自信が持てない。
「なぜこう考えたのか」と聞かれても、AIに聞かないと答えられない自分がいた。

AIはええけど、責任までは取ってくれへんやろ

夜、実家に電話をしたとき、父にその話をしてみた。
「AIが考えてくれて、資料もきれいに作ってくれるんだけどね」

すると父が笑って言った。
「便利でええやん。でもな、AIは責任までは取ってくれへんやろ。」

その言葉に、胸がズシンと響いた。
たしかに、資料の内容を説明するとき、最後に責任を負うのは自分だ。
AIが作ったでは通らない。結果がどうであれ、判断をしたのは人間。
つまり、“考える”という行為には、責任が伴うということだ。

「考える」とは、答えを出すことじゃない

父は続けた。
「ワシらの仕事はな、図面1枚引くにも誰が責任持つかが一番大事や。
機械が正しい線を引いても、どこをどう設計したかが分からんかったら意味ない。」

私は思わず黙り込んだ。
AIが整えた資料も、図面と同じかもしれない。
形は整っていても、「なぜそうなったのか」「何を根拠にしたのか」が抜けていると、
考えたとは言えない。

父の言葉が続く。
考えるってのはな、答えを出すことやなくて、結果に責任を持つことや。
AIがどれだけ賢くても、考えた本人にはなられへん。」

「整える」と「伝える」の間にある心

AIが整えてくれることは、たしかに助かる。
でも、生成された言葉をそのまま使うと、考えたようで考えていない状態になる。
便利さの裏で、配慮や気遣い──つまり心の部分が抜け落ちてしまう。

仕事の文章も、人とのやり取りも、結局は人の心が伝わってこそ意味がある。
もしその言葉に責任があるなら、相手の立場を思い、丁寧に伝えようとするはずだ。
それが人としての誠意であり、AIには代えられない部分だと思う。

自分の言葉で語れることが、責任の証

私はその夜、自分の作ったAI原稿を見直した。
少し時間はかかっても、自分の言葉に見直した。
すると、不思議と自信が湧いた。
『これは私の考えだ』と胸を張って言える気がした。

父が最後に言った。
「AIは道具や。けど、考えるのは人間や。
便利になっても、心を込める責任だけは手放したらあかん。」

AIが整える時代にこそ、言葉には責任と心を。
それが、人の信頼を支える本当の言語化力だと思う。

今回の気づき

AIは整えるが、責任までは取らない。
考えるとは、心を込めて責任を持つこと。
便利さの裏で失われる思いやりを守ることが、人間の言葉の本質。
AIの時代こそ、自分の言葉で考え、伝える努力が信頼を育てる。

この物語はフィクションですが、実際の経営現場でよくある話をもとにしています。

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