今、変わるべきでしょ!可藁津今茂の経営日記
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言うだけの善意が一番タチが悪い
責任を伴う伝え方を考える
ある日、社内の先輩から「これ、読んでおくと勉強になるよ」と送られてきた。
開いてみると50ページを超えるPDF。
「ありがたいな」と思いながらも、忙しい合間を縫って読み終えたのに、
その後は何のフォローもなし。
「これ、結局どうしたかったんだろう・・」
つい愚痴をこぼすと、父がぼそり。
「言うだけの善意が一番タチ悪いで。本人は気楽やけど、受けるほうは重たいわな。」
善意の押しつけは、相手の時間を奪う
たしかに「よかれと思って」が一番厄介だ。
「これ見ておくといいよ」「やってみたら?」──
言葉は軽くても、その裏には時間や労力がかかる。
善意で渡された資料やアドバイスでも、フォローがなければ丸投げに近い。
「どうなった?」と一言添えてくれたら、それだけで違うのに。
相手の状況や優先度を考えないまま助言するのは、結果的に負担を増やすだけ。
伝える側が「どうなってほしいか」まで責任を持つことで、初めてアドバイスになる。
「言うより、やって見せる」父の教え
父は腕を組みながらつぶやく。
「ワシらの時代は、言うよりやって見せるが筋やった。
口だけ出して相手に任せるんが、一番楽で無責任や。」
善意という言葉の裏には、「自分は正しい」という自己満足が潜んでいる。
実際、「言っただけ」で満足してしまう人は多い。
けれど、本当に相手を思うなら、言葉より行動、指摘より伴走が必要だ。
アドバイスは「伝えること」で終わりではなく、「一緒に進めること」で完結する。
善意を支援に変えるには
助言やアドバイスは、相手のためになるつもりで言ったとしても、
フォローや責任が伴わなければ、ただの自己満足になる。
伝えるとは、責任を共有すること。
言ったあとに手を離さず、相手の変化を見守る──
それが本当の「支援」だと思う。
「善意って、相手のために言うことじゃなくて、
一緒に考える覚悟なんだと思う。」
言葉を投げるのは簡単。でも、寄り添い続けることが本当の誠意。
今回の気づき
人は「良かれと思って言った」つもりでも、
フォローがなければそれは自己満足の善意。
言葉に責任を持ち、最後まで見届ける姿勢が信頼の言語化である。
この物語はフィクションですが、実際の経営現場でよくある話をもとにしています。


